昭和52年09月18日 月例祭
只今お月次祭の始まるチョット前に、久留米の古賀さんがお届けをされたんですけど、今その十年の記念祭の記念出版が、教典感話集、私しが十年間夏の夏季信行の時お話しを致しました、しましたからかき集めるは可笑しいですね、かき纏めてございましたから、それをご本にして、今度記念祭に皆さんにお配りしようと言う訳です。今その係りの方達が、高橋さん始め4、5人の方達とやっております。
でその今校正が来ている訳です。それで銘々少しづつ分けて校正される中に、分からない所があると言うて、先ほどお伺いをされましたその中に、あの短いやはりミニ御理解ですから、いつの頃の御理解か知りませんけれども、歌の文句で御理解してあるのがあります。その歌の文句が違うようにございますから、と言う訳なんです。それは「朝顔は馬鹿な花だよ根もない竹に命までもと絡みつく」と言うのが、本当なんだけれどもそれと違った文句に書いてある。
どうも違うようですから、うんそりゃそうでしょうと言うて先ほど、訂正をさせて頂いてような事でしたけれども、今その事を頂くんですよ。ね「朝顔は馬鹿な花だよ根もない竹に命までもと絡みつく」と、これは多くの宗教、信心に言える事( ? )人間の幸福を称えて下さろうとすのが、神様の宇宙が示すのを教えるのが、それが宗教しかもそれはにんげん氏子が助かると言う事の為に、宗教があるのだと言う事です。
勿論人間が助かると言う事は魂が助かる、ですから言うならば御霊様も助かると言う事です。霊肉共に助かる所の教えね、それを自分の考えとか自分の都合でお話しを、( ? )教えがあるのではなく、神様に示された神様にヒントを頂いての教えとか、それを解かれそれを…?そう言う意味で合楽の信心が真の宗教だと言う事が言えるじゃないかと思います。だからそんならばその証拠と言うものがです。
言わば本当の宗教ならば人が助かる事の為に、しかも霊肉共に助かる所のおかげが頂ける事の為に、信心を頂いて信心がそのようにお役に立っておるかね、言うならおかげの実証があるやいなや、と言う事で又本当なものか本当なものでないかと言う事が大体分かる訳であります。今これも今の教団でしたか、加代子先生があの前講勤めとる、その十分か十五分の間でしたけれども、福岡の秋永先生がお届されます。ここにも時々参って来るんですけれども。
菱村と言う割烹店がございます博多に、そこのおかみさんから、秋永先生に昨日電話が掛って来た、と言うのは税金問題である、800万円まあ取られる事になってるち言う訳、それをなんとかかんとか頼んでから100万円に負けてくれと、こう言いよるけどとてもでけそうにない、それでどうぞあの金光様にお願いをして繰れて言うて電話が掛って来た、これはねあのここまで来なくってもね、自分が神様にお願いしよう、お取次ぎ頂こうと言う気になったら、もう神様に通うとるです。
私し共北京におります時分にはもう郵便局に電報打ちに行きますよね、その当時は三井教会にお願いをする訳です、もう電報を打って帰って来る時には、もうおかげが言うならば見えておりました。もう時間も空間もないと言う事が分かります。氏子の一心と言うものはもうどこにおろうが、ここでお取次ぎを頂こうが、福岡の地からお取次ぎ頂こうが理屈は同じです。
でそのお届けが終わるか終わらん内に先生に電話が掛って来た、もう大変なおかげを頂いて、もう本当に不思議な不思議なおかげを頂いて、それが納めんでよか事なったと言う様なお届けです。その前後してから今日四国からお参りになっている方があります。これも税金でまあもう長い間、毎日毎日税務署が調べにくる訳ですね、何かミスがあった訳ですね、叩きゃやっぱ埃が出ますよね。
ほれでこりゃもうそれこそがっぱりやられるだろうと、もうその事がズーット心に掛って掛ってしようがない、その方の可愛いそれこそ孫さんが、大変難儀な病気をしておる、それで私しがある電話で、お取次ぎをさして頂く時に申しました、それが難儀な事だと思うたらもうそれこそもう、ご飯がいけんごとある、晩な眠れんごとある、とこう言う訳です。それでねその事はあなたの可愛い孫さんが、おかげを頂く為の修行だと思いなさいと、私しが言うた、やはり受け物受け方頂き方。
こりゃもうこれは、合楽の田中さんの有名な。駄目だと言われた時信者さん方が、勢祈念をして下さった、その中にその田中さんがその時言われた事、「どうぞ幹三郎ちゃん、今は幹三郎先生です、幹三郎ちゃんがどうぞ全快のおかげを頂いて、無事に帰って見えられる事が出来ますように、その為にこれから私の上に起きて来る難儀の総てを、その為の修行だと思います、調度何か取り上げかなんか、お百姓さんの忙しい時分だった、だから慣れないお百姓さんの、お手伝いに行かれてもです。
はぁこれが幹三郎さんが、おかげを頂かれる事の為にと、思うたらそれが楽しゅうして有難かった、家でお茶碗ひとつ洗わせて頂くでも、お炊事の御用をさせて頂くでもこれがみんなな、幹三郎さんのおかげを頂かれる事の為の修行だと思うたら、有難かったと言う、全快して帰って来た時に、皆んなでその体験発表をした時に、その発表をなさいました。その事なんです。私し共の前に信心させて頂くも者の前には、難儀とか苦労とかはあっちゃならない、それが全部修行でなからなければならない。
難儀では受けて下さらないけども、修行で頂けば神様が受けて下さる、修行には必ずおかげがつきもの、お徳がつきものなんです。だからその四国の方にもあたしがそれを言うんです、例えばそりゃ百万取られるか、何百万それこそ財産がっさり取られるような事が、あるかも知れんけれども、それが可愛い孫がおかげを頂く為の修行なら、有難いじゃないですかと言う訳です。
まあそのままその場ですっきりしたち言う事なかろうけれども、はぁその難儀な問題が孫がおかげを頂く事の為ならばと言うて、まあ毎日電話がかかって、その経過がね、おかげを、そして今日ヒョッコリさっき見えとりますもん、それがもう大変な広大なおかげ頂いて、もう本当にもうそれこそ思うておった、まあ言うならば、ような大変な事ではなくて本当にわずかな事で済みました。しかもその上にその可愛い孫がです。
皆さんと一緒にこうやってご飯を頂けれるくらい迄に、おかげを頂いたと言うお届けが、今ございました。だからいかに言うならば、根もない竹に命までも絡みついておるものでなくて、一心に縋ればこのような働きもおかげも頂く事が出来、下さる事がでけれる神様を対象として私共は、日々信心の稽古をさして貰い信心生活を、させて頂いておるんだと、まずは分かりまずはそれを信じなければいけんのです。
昨日おとといでしたか、箱崎教会から見えとります若先生と言うのが、まあ一生懸命修行があっとります、秋物の入れ替えでその衣類を取りに帰らせて貰おうと同時に、あちらの先生方夫婦が、合楽理念と言う事を段々分からせて頂くようになった、けどももすこし分からないとこがあるから、今度帰って来た時には、そこの説明をしてくれよと言う便りがあっておった。だからどうぞ合楽理念を、間違いなく伝え教えられるように、お繰り合わせをお願いしますと言うておりましたから。
調度まだ高橋さんが、朝の御祈念のままおられましたから、高橋さんにお願いをして、あの佐田先生が帰ると言いよるから箱崎ですから、高橋さんは千代町ですから、あそこまで送って行って貰うようにお願いをして、それなら乗せて帰りましょうと言う事になっとった、暫くしましたらあのもう、佐田先生は帰ってありますよと言う訳、アッそうのそりゃちょいと待っときゃよかったの、申しました事ですけど。
昨日自分が当番であった事、日誌に書いたあったその事が、後から聞かせて頂いたらわざわざ親先生が、高橋さんにお願いをして頂いておった、それを振りきるようにして自分は汽車で言わばバスを利用して、帰らせて頂いて、本当に親先生の言われる事は、合楽の人達はそれこそ冗談でも、それを真で受ければおかげになると言われているのに、わざわざ親先生がそう言って下さっておるにも関わらず、自分が先生の言う通りしなかった事が、非常に心に引っ掛ったと言う意味の事が書いてある。
私しも又そう言う人間心を使うと言う事を、大体が致しませんのですけれども、その高橋さんにお願いをした後に、こりゃあたしの人間心ではなかったろうかと、思いましたもんですからねそれで、あのお届け帳チョットこうまあこの位つかんで、ふっとこう開けて見た、そしてそこに私しの一番目に止まったのは、その佐田秀則と言うのと、お供え高橋定利と言うとが、二つ並んで、お届けがしてある所を頂いた。
ははぁ私しのは人間心であって人間心のようではなかったな、私しの心の上に神様が働いて下さってあった、よし人間心であるとするなら、こう言う心が最高の人間心だなと言う風に思わせて頂いたから、高橋さんにもお願いをする、佐田さんにもその事伝えておったけれどもそれがでけなかった、今日調度研修の時にその事の話しが出ましたから、例えばここではそれなら合楽理念合楽理念と言う事が言われるがね。
言うならそう言う神様の働き、言うなら天地自然の働き、天地金乃神様の働きと、ここで教えを頂いておる絶対の道だ、もうその完璧の域に入ったと迄言われる合楽理念、しかも難しい事ではない、親先生が言われる事をそのまま神様が言われる事だとして、頂いて行くと言う例えば生き方、これはやっぱし合楽理念の中にある訳、その天地自然の働きと、言うなら合楽理念の関わり合いね。
どう言う関係を持っておるものか、どう言う作用がそこから生まれて来るかと、言う事の御理解が、でございました。だから私し共の一挙手一投足が、合楽理念に基づいての動きになって来る所に、天地自然の神様の働きとその合楽理念との関係が、密接であると言う事が分かるだけではなくて、そこから生まれて来る所の作用、言うならば親先生任せになっとけば、こう言う働きが生まれて来るんだ、起こって来るんだと言うその作用を感じとる事がでけるんだ。ね、合楽での信心の有難さと言うのは。
楽しさと言うのは、それが段々身について来ると愉快になって来る、そう言うおかげの頂けれる神様、してみるとです、もう昨日からもう本当に大変な病人が、おかげを頂いてお礼に出て来る、もう兎に角大変な難渋な大変なとても駄目だと言われとった、試験の合格をしたと言うてお礼に出て来る、もう夕べ夜夜中までそうでした。今日は勿論日曜ですから朝からずうっと賑わっておりました。
宮崎辺りからは三つでもお参りして参りました。それがもう一人一人もう真にまあ本当ではあるだろうかと、言うようなおかげを頂いて、お礼参拝をして来ております。して見るとですね、これは根もない竹ではない事が分かる訳です。一心を持って縋ればこう言うおかげが頂かれるんだと言う、成る程絶対の道がはっきりして来る、これからの生きかたもはっきりして来る。今日研修の後に今村和子先生がご祈念中に頂いたと言う事が、さっきお届けがありました。霊徳天命乃巍と頂いた。
雪ね、雪嶺天命と頂いた、雪の御霊、天命、霊徳天命乃巍と、今日の朝の御理解がね金光教の信心、特に合楽の信心は、例えば年寄りを大事にすると、言った様な事でも、例えば撫でたり擦ったりすると言う事だけが、年寄りを大事にすると言った様な事ではない、と、言うてまぁ私しの例からね、色々話しさせて頂いて、言うならば、問題はあたくしの両親が父が93母が85歳でしたか、まで兎に角肩が凝るの足が痛いのと言うた事がなかった。だーれもあたくしも擦ってやらん家内も別に撫でたりする事もないね。
たまにはそりゃありましょうけれども、そうしなければよか嫁御じゃないごたる思い方が、これは道徳的な考え方なんです。毎晩お母さんの床ば取ってやらないかん、そして寝みなさったらあしを揉んでやらないかん、これは結局シナあたりから来た思想の言うならばものであって、いかにもそれは親孝行しとるようであって、親が肩が痛い腰が痛いと言いよるならそりゃおかげじゃない、それよりもその本当の親心、親に喜んで貰いたい孝行したいと言う心が、神様に向けられる。
そこにならば年寄りは、痛い事もなかにゃ痒い事もない、毎日が極楽のような生活がでけるような、おかげを頂い、て始めて本当の親孝行だ、年寄りを大事にすると言う事は、そう言う事なんだと言うようなね、意味のこれは信心を広義広い義において頂いた時に、これがいりますならば人間心での親孝行は、親は喜んでも神様には通じないと言う御理解でした。今それが心情である、ね、神心で持ってする時に、言わば親も助かるなら神様にも通じる通うんだと言う事なんですね。
それが例えば見方によるとそれがまぁあちらの嫁さんは、冷たい人だと言ったような事になるかも知れません。けどもその嫁さんが神様へ向って言うならば、親の賀びを親の健康を祈り願わせて頂くならばです、それこそ足を揉んでもらうよりも肩を揉んで貰うよりも、どうもなくて93までも長生きが出けると言う程有難い事はないでしょう。もう一時が万事に合楽の場合はこれは人間関係の事だけではありません、一時が万事にそう言う生き方、広い意味での言うならば教えをあたくし共は行じて行く。
もう合楽理念は徹底してそこが説いてありますですね。所謂人情では人は助からん、神情でなからなければ助からん、そこでなら今村先生が頂いておる霊徳天命乃巍と言う事はどう言う様な事であろう、所謂広義です、霊徳節霊天命と言う、いよいよ御霊様のお祭りが近ずいて参りました、23日には合楽に縁を頂いている限りの信者氏子、その人達に関わり合いのある御霊様が、どれほど沢山おられるか分かりません御霊様が、合楽の信心に縋って言うならば、助かろうとなさる儀式でありますね。
最近では言うならば南米ビリグイの信者に関わり合いのある所の御霊様、南米の関係ですね、あちらは何とか言いましたけ、あのブラジルのビリグイではない、サンパウロねサンパウロにも関係が出来ましたから、サンパウロにもあちらの教会でおかげを受けておる、信者に関わり合いのある御霊達、だから今度の御霊には、言うなら黒人も言うなら白人も南米人も、言うならば今度の御霊に、御霊のお祭りに参加される事になる訳です。そりゃ黒人と一緒ならイヤてんなんてん思ちゃならん。
現在本当にそれこそ、合楽理念を持ってして南米の地に、黒人もなからなければ白人もない黄色人種もない、もうそれこそ月次祭ともなると、世界中の人種の品評会のごとある、イッパイその外人の方達のお参りがあると、だからそう言う縁を頂いて、お参りをしておる人達に、関わり合いのある、御霊様が言うならばこの23日には、お招きさせて頂いて、いわばその言うならば、霊徳天命之義と言うのが、行われるわけでございます。こりゃもう本当に由々しき事なんですよ実際はね。
先ほども申しますように霊肉共に助かられる所の道なんです。根が助からずして枝葉の栄えた試しがないです。御霊様が助からなければいけないです、その中には雪嶺天命と言うのもあると言うのです、雪の雪の中にあるようなそれこそつめたーい思いをしておる、御霊もこりゃ言うなら仏教的に言うなら、地獄の底で苦しんでおる御霊達もあると言う意味でしょう、それを神様は雪嶺天命、それもやはり天命だと言うのです、言うなら霊徳を受けて明日23日のそれこそね。
天命を霊徳を受けておる御霊達も天命によるのです。皆さん方が現在いろんな難儀を持っておるそれは天命なんです。皆さんが幸せをしとるそれは天命なんです。だから俗な言葉にございますね、人事を尽くして天命を待つ、と言う事を申します。言うなら例えばなら税金がもうそれこそ八百万も掛かって来る事になって来た、それでもうあちらに頼みこちらに頼みする事が、人事のように思うておるけれども、これは必ず、言うならば運命を悪くする働きしかないのです。
さあ病気をしたさあ医者だ薬だとばっかり言うとったんではね、本当のおかげにはなりませんと言う事です。神様にお縋りをしてお取次ぎを頂いて、助けて頂きたいと言う願いが、言うならば金光教、いや私しが言う人事なんです。だから人事を尽くすと言う事は、それうならば。神様に一生懸命にお縋りをすると言う事が、人事であって、只その不自然な、あれに頼もうこれにも頼もうと言ったような、生き方は人事を尽くす事にはなりません。いよいよ天命運命を悪くして行く事にしかなりません。
それは今朝あたりの言うならば講義の意味に置いての御理解を頂くと、その辺がハッキリしてまいります。お互いがね今日も、小森のから参って来た高田さんて言う方が、無絵う子さんがある試験を受けております。おかげで1期2期3期ずっとおかげを頂いた、後はもうそん中から何名か絞られると言うだけになった、そこで二三日前あるひとから進められて、県会議員か市会議員かと言う方に頼んだがよかばのち言われるから頼み行った、ここで親子二人で参って来た途端にその事頂いたね。
神様にお縋りをして例えば度々の試験に、ずうっと合格をして行っておると言う事だけでも不思議でこたえん、一番最後になって県会議員に頼むてんなんてんち言うなら、もうそこに天命が崩れてしまう、よしそんなら県会議員のおかげでそこに勤める事が、出来るかも知れないけれども、その勤めた事がそこに出来た事が、却って運命を崩す様な結果になるかも知れないよ、と私しがそして私し共の4人の息子の話しをしたんです。
所謂神様が一番末の栄四郎が高校卒業します時に、お礼を申させて貰いよったら士農工商足ろうたと言って神様が喜んでくださった。言うならばいつもこの事は皆さんに聞いて頂く通りですけど、例えばうならでけなかったから、そのまあ少しお金でも使うて無理に入れておったら、一番最後のほんなら栄四郎ほんなら一人だけでもそうしておったら、そして立派な高校に入れておったなら、それだけで天地の親神様の計画て言うものが、全部崩れてしまう事になる士農工商て言う事にならないでしょうね。
普通高校農業学校商業学校工業学校、それから商業学校と言う風に4人の息子がそれぞれ、士農工商と言う、言うならば世界中の人間のあらゆる職業と言うか、あらゆる層言うならビリグイで言うならば、黒かつもおりゃ黄なかつもおる、白かつもおる、あらゆる人種が助かられる程しの働きと言うものが、合楽に起きておってもです、私しが人間心を使うてまいないをして、特別な良い学校に入れておってもろうたらもうそれだけで、天地の親神様のご計画と言うものが、崩れてしまう事が分かるでしょうが。
だから今日高田さんにしっかりお詫びしなさい、人間凡夫で相分かりませんもんですから、どうぞあの神様にこれだけおかげを頂いておって、あの人に頼んだ事をですお詫びをさして頂いて、出ける出けんはもう神様あなたにお任せいたします。そう言うたるんだ事はまあお詫びをさして貰わないけんと言う風に、申しました事でしたけれどね、天命と言うものがね、人事を尽くす事そして天命を待つと言う事が、普通では高田さんの生き方は神様にもお願いしとる、県会議員にも頼んだ人事も尽くした。
神事も尽くしたそして天命を待っとこう言う風に普通では申しますけども、これは天命運命を却って反対に崩す事になるんだと、信心ではお任せしきった所から生まれてくる所のおかげでなからなければいけない。だからあたくし共の人事と言うのは、神様にお縋りをすると言う事が人事なんです。それが普通はとんおしか出来ない信心を特別なお願いをする時は、20も30も誓いを持って人事の限りを尽くして、神様へお縋りをする所からです、例えば霊徳天命でありますね。
又は雪嶺天命それこそ雪の中で凍えるような思いをしてる御霊様がです、お徳を受けて言うならば助けて頂ける程しの働きも、そこから起こって来るんだ言う事なんでございます。わたくしはこれを聞かせて頂いて改めてその事を思いました。言うならば霊徳天命の義が言うなら今度の23日の月並祭に併せて、午後の一時から御霊様の言うならば、御大祭が行われる訳でございます。
それには言うならばです、合楽の教会合楽の信心に関わりのある全ての御霊様達が、自分方御霊様にはお願いしとらんから、自分方は仏教だから、と言う様な事はありません、もう天地の親神様そんなに小さい神様じゃありません、縁を頂いている限りの人達 の上に助かりを、しかも霊肉共に御霊の世界にある物までもです、言うならばお救いが頂けようと言う程しのお祭りでございますから、それなら雪嶺天命もう天命によって、雪の中に凍えておるような感じの御霊でもですね。
霊徳天命の義に併せて頂く時にです、そこから助かりの手立てが出けるようなおかげも頂きたいと思います。是は御霊様だけの事ではありません。私し共もです人事の限りを尽くすと言う事は信心の上での事なんです。人事の限りを尽くさせてもろうて、神様に必死にお縋りさせて頂いて、おかげを頂きよるまあ今日のお話しを聞いて下さっている内にです、成程私し共が信心しておる言わば、合楽の信心は決して言うならば、朝顔は馬鹿な花だよ根もない竹に命までもと絡みつくと、言った様なものではないと言う事。
根がある一心を持ってすればハッキリおかげが現われる、お参りが出けん時にゃもう電話で、合楽の金光様お願いしますと言うたら、もう通じておる程しの働きが起こって来ると言う事は、枯れただけではない事が分かるでしょう。活き活きとしてしかも、ね、助けを求めて来るものの上にです、助けずにはおかんと言う神様の働きがある事が分かるでしょう。そう言う神様をまずは信じてね。
そしてまずはその神様のお心に沿い立て祭る生き方を、いよいよ身につけて行かなければならんと言う事でございます。23日はそう言う意味合いにおいての御霊様のお祭りが、ここでそう言う儀式が行われる訳ですから、玉串の中取り持ってと言われるが、玉串の1本も奉らせて頂いてご先祖の御霊様にも、言うならば霊徳天命の儀に合うて頂きたいと、願わなければならないと思います。
どうぞ。